前日遅かったこともあり、モン・サン・ミッシェルから来た道を少し戻ると早めに野宿をすることにしました。この先、目的地パリまで東へ進むことになります。
[パリまで直線距離で300キロあるかないかだなぁ]テントの中で地図上をアレコレとたどりながら最短コースを考えてみました。[どこを行っても350キロ以上か。よしッ、あと4日だ]
日記の最後に「後はパリへ向かうのみ」と大きな文字で書き込みました。
この日の野宿は農場のど真ん中です。農道にテントを張る場合は、当たり前ですがトラックやトラクターの通り道を必ず空けておきます。
朝、牛の鳴き声で目覚めると霧の中に牛の姿が浮かんでいました。
フランスは言わずと知れた農業大国です。ひとたび街を抜けると郊外に農場や牧場が広がり、野宿の場所に困ることはありません。それはより内陸に入るほど顕著でした。
モン・サン・ミッシェルからそのまま東へノルマンディー丘陵(Collines de Normandie)を突っ切って進みます。険しい山間部ではありませんが、走るコースによって集落がポツン、ポツンと現れるだけになります。
前日が日曜日だったこともあり、途中でうまく食料が調達できず、この日の晩飯はサラミと人参の炒め物、それにキュウリと少し情けないものでした。救いは安いワインが手元にあったことです。朝飯も私の中での非常食、イワシの缶詰だけとお腹が満たされない状態での出発でした。
走り出しとすぐに集落が。[おッ、パン屋だよ。ラッキー!!]小さなパン屋を発見、入口はドア1枚。ウィンドウ越しに中を覗くと誰もいませんが、傘立てようなカゴにフランスパンが数本入っているのが見えます。ドアを開け、お店の人に聞こえるように大きな声で「ボンジュール!!」、奥から出てきたのはオバァちゃんでした。
「バケット、シルブプレ」
「ノン、……??……」
オバァちゃんは、いきなり訳のわからぬ東洋人に面食らったのでしょうか、フランスパンを売るのを拒んでするようです。[大丈夫、お金ならあるから」と、もう一度お願いします。
「フランスパン、バケット、シルブプレ。ラルジャン(お金)、オーケー」
「ノン、……??……」
「ラルジャン、オーケー」
「……??……」
しつこいと思ったのか、オバァちゃんは何か言い残すと店の奥へと入ったきり出てきません。諦めるしかないようです。なぜ売ってくれないのかわからないまま、空腹は次の町まで続きました。
同じころ、銀行で「このトラベラーズ・チェックは扱っておりません」と断られたこともありました。これも小さな町でのことでしたが、それまでどこの国でも断られたことがなかったので驚きとともによく覚えています。
フランスパンを売ってもらえなかった話には後日談があります。私はパリでブローニュのキャンプ場をネグラにしていました。そのキャンプ場で知り合ったフランス人の青年にこの話をすると、納得できる答えが返ってきたのです。
「フランスはどんな小さな村にもパン屋があるのは知ってるよね。僕らフランス人は焼きたてのパンが好きだからね。で、小さな村では村人の人数分というか、必要な分しかしか焼かないんだ」
「なるほど、余計に焼いても売れずに残るんだね。そうか、だからあのパン屋にはフランスパンしかなかったんだ」
「そうかもしれないね。家を留守にする時なんかパン屋に断りを入れるよ。いらないって。逆に人が増える時はいつもより多く焼いてもらうよう頼むんだ」
「なるほど朝、晩、もう焼く数が決まってんだ。だから俺に売るパンはなかったんだな」
「うん、たぶんそうだね。昔はパン屋に自分の家の分のパンの粉を預けたこともあったと聞いたよ」
「へぇー。ちょっと腹立たしく思っていたけど、田舎のパン屋じゃ人数分しか焼かないんだ。よくわかったよ」
「そう。よかった」
おそらく、あのカゴの中のパンにはすでに村人の買い手がいたのです。だから私に売ってもらえなかったのです。彼の説明で謎がとけました。