チュニジアからイタリアへと渡り半年以上にわたってヨーロッパを走り回りましたが、この日10月22日(土)パリから香港へ向かいます。
目覚まし時計よりも早く、朝4時半に目が覚めてしまいました。旅客機の出発は9時です。さりとて今さら寝直すわけにもいかず、テントから這い出て朝飯の支度をすることにしました。[うへーッ、寒い]温かいコーヒーがありがたく感じられます。
キャンプ場からバスターミナルまで約30分、自転車をバラして輪行袋に詰め込むと余裕をもって空港へ向かうことができました。
搭乗する旅客機はキャセイ・パシフィック航空のパリ9時発、10時ロンドン(ガトウィック空港)経由の香港行きです。
自ら選んだのではありませんが私の席は旅客機の中央あたり、そばに非常口と厨房があり、CA(当時はスチュワーデスと呼んでいました)の席の真ん前です。ロンドンを飛び立つとすぐに CA たちは昼食の準備に取りかかりました。離着陸時には立ったり座ったり、またお客への対応やサービスにと彼女たちの忙しいようすがよくわかります。まあ、場所的に少々落ち着かない席ですが前をさえぎるものがなく足が伸ばせて楽チンです。
「効ッくッー!!」私は夕食の前にウイスキーを飲んでいました。アルジェリアで飲んで以来の7ヶ月ぶりになります。やがて CA たちによって機内食が配られ始めました。
「Chicken or Beef ……」
「え~と、どっちにしようかな……?」
「ドンッ!!」答える前に目の前にチキンの入ったプレートが置かれました。酔っぱらいが無視されたようです。CA の態度はほめられませんが、気持ちよく酔っている私としては[まあね、まあね。よくあるのかもね]気にしないことにしました。
ロンドンから香港までのフライトは12時間ほどです。ただし、時差があるので香港啓徳(カイタック)空港への到着は明け方になります。食事の後は到着を寝て待つばかりです。
住宅密集地香港にある啓徳空港への着陸はビルすれすれになります。飛行機のお腹を見せながら着陸していくようすを映像でよく見ていました。進入コースによって危険を伴うパイロット泣かせの空港としても有名です。着陸時に洗濯物を引っかけた(?)など、まことしやかに言われていました。
そんな名物空港も1998年、九龍半島の西にあるランタオ島に新空港ができると同時に閉港しています。
[うへーッ、暑いなぁ]空港へ降り立った第一印象です。さすが亜熱帯の香港です。何事もなく入国審査も終了、次は手荷物受取所で自転車の入った輪行袋と振り分けバックのピックアップです。
[あれ、おかしいなぁ?]指定されたレーンから荷物が出てきません。そのうち何も流れなくなりました。私の他にも10人ほどが同じように荷物を待っていたのですが、皆さん怪訝そうに顔を見合わせています。そんな私たちのもとへ職員がやって来ました。[航空会社の人か、それとも税関職員?]
「ロンドンからの荷物は以上で全部です。今お待ちのお客様の荷物は空港で積み込むことができなかったとのことです」
「何だよ。じゃあ、我々の荷物はどうなんの?」
「次のロンドンからの便で届くはずです」
「それで引き取りはどうすんですか?」
「皆様のお泊まりのホテルまでお届けしますので、後でホテル名を税関事務所まで連絡ください」
届かないものは諦めるしかありません。すでにホテルを予約済みの人たちは職員にホテル名を告げるとその場を後にしました。職員と乗客たちのやり取りを聞いていた私は[ホテルか、金がかかるなぁ。荷物を積めなかったのはソッチのせいでしょ、ホテル代ぐらい出してくんないの]そんなことを考えていました。1HK$=約34円。
ついにヨーロッパを離れて香港か、1983年の香港は現在のそれとは違う、まったくの異国だった。輪行袋届くのかしら
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