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最後に寄り道: Taiwan(10) ミリタリー・ストップ?!

地図上の橋は存在せず、はからずも海岸線を走れなくなりました。この先は川沿いを上流へと山側に転じて県道200号線から再び海側へ出ることにします。

DSC_0415海から離れるといきなり写真のように山の中を走るようになります。200号線をしばらく走ると海へと続く分岐が現れました。[よし、ここを下りればいいんだ]海辺へと下り、集落を抜け、海岸線をしばらく走ると[あれッ、何? ゲートか]。

ゲートの前には2名、明らかに兵士と思われる人が立っています。私を横を2台の車が追い抜いて行きました。乗用車のドライバーはゲートの前で一旦止まると、ひと言ふた言兵士と言葉を交わし、ゲートを開けてもらい先へと進んで行きました。続く小型トラックも同様です。[何のチェックだろう?]私に対して兵士から声がかかりました。

「……??……」
「私は日本人の旅行者です。英語でお願いします」
「はい。この先、軍の施設がありますので一般人はこれより先へは進めません」
「軍の施設?」
「はい。そうです」
「さっきの車は?」
「地元住民と営業車は通行が許可されています」
「そうですか。オーケー、わかりました」

ここに来てのミリタリー・ストップです。軍が絡む国情となればやむを得ません。他国で前にも晩飯の最中にせっかく張ったテントを「近くに基地があるから」という理由で移動させられていました。来た道を引き返すくらい大したことではありません。

そういえば台北を出発した初日にも野宿の場所探しの最中に軍の施設に出くわし、自ら離れた場所へと移っていました。
当時の台湾全土は戒厳令下でした。大陸から蒋介石ひきいる国民党軍が共産党軍から逃げるようにして台湾に渡って以来、ずっと戒厳令が続いていたのです。つまり当時はまだ戦時中ということです。
その後1987年になって40年近く続いていた戒厳令が解除されました。中国本土から数キロ地点にある台湾領の金門島や馬祖島の戒厳令が解除されたのはその数年後の1992年になってからです。

引き返すのはいいのですが、この先海岸線へ出るルートが見つかりません。200号線やら199号線やらと山の中を走り、台北まで続く幹線道路の南迴公路、省道9号線を行くことにしました。この省道は日本でいうところの一般的な国道にあたります。台湾で国道というと主に日本の高速道路を意味します。結局、この日は山中泊となりました。

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