屏東縣と台東縣の県境の小さな峠を越えて丸一日ぶりに東海岸へ出ました。9号線は切り立った海岸線の一本道に変わり、この日の目的地、台湾東部の最大の街、台東(タイトン)へと北上します。
所々、海に向かって監視所があり、まさに監視中の兵士が見てとれます。[24時間監視してんだろうな]戒厳令の最中とはいえ「ご苦労さん」といった感じです。
日も暮れようとする中、台東に到着。駅の近くの安ホテルに泊まることにしました。1泊250元=約1,500円。
私はチェック・インをすませるとロビーの椅子に腰掛けて地図を広げていました。一息するつもりでこの日のコースと翌日のコースの確認をしていたのです。
「タイワンミチイイカ?」
「うん。走りやすいよ。でもバイクが多くて時々キケンネ」
話しかけてきたのは先ほどのフロントのオヤジさんです。このオヤジさんはそこそこ日本語を話します。なぜかつられてしゃべりがおかしくなります。私は地図を示しながら
「昨日ここ走れなかったんだ。ミリタリーだって」
「ソコダメヨ。グンタイダカラネ。レーダーアルネ」
「だからぐるっと遠回りして9号線で、タイトンキタネ」
「トオマラリ?」
「違う、違う。ト・オ・マ・ワ・リ。わかった?」
私は片手で大きな円をかきながら「遠回り」の説明をしました。
「ハイ、ハイ。トオマワリシッテルヨ。デモトオワマリチガウヨ」
「えッ、遠回りじゃないの? ナゼヨ」
「ココミチナイヨ。ダカラアナタイケナイヨ」
オヤジさんは昨日私がミリタリー・ストップがかかった道を指差して、通じてない、道がないというのです。なにしろ「ない橋」が載っている地図です。「通じてない道」が載っている可能性はあります。だとすればオヤジさんが言うように「デモトオワマリチガウヨ」は本当かもしれません。
ホテルのフロント業務はヒマらしく、この後もオヤジさんはこの先のルートや昔話など色々と話してくれました。
ひとしきりオヤジさんと話した後、ちょっと遅い晩飯を食べに台東の街へ出てみました。台東の街並みは碁盤の目状といえないまでもワリとキッチリした感じです。このあたりは11月の夜でも気温20度を下ることはありません。まだ多くの人が夜の街を行き交っていました。
ホテルに戻り「帰る日が決まったら電話します」と海外からの最後の便りを母親へ書いていました。「トン、トン」ドアをノックする音、フロントのオヤジさんです。
「コンヤ、ムスメイルカ?」
「えッ、娘? イラナイヨ」
「ソウカ、イルトキハイッテヨ。イイカ?」
「うん。イイヨ、ワカッタヨ」
[またかよ。それにしても「イルカ?」ってダイレクトだなぁ]台北のホテルに次いで2度目のお誘いでした。