東西横貫公路を戻って太魯閣峡谷を下ります。文山温泉からそのまま山道を進んで三千m超の峠を越え、分岐を台中ではなく宜蘭(ギラン)へ下って台北へと戻るルートもあります。ただ、それだと台湾一周の「一周」から外れる気がします。いや、本当はキツイ山道を避けたかったのかも知れません。それに台北に戻る前にもう一ヶ所行きたいところがあったのです。
昨日くぐった横貫公路の派手なゲートを再びくぐり、左に曲がると再び蘇花公路に出ます。[あさってには台北に戻れるな]
崇徳(チェンドー)から蘇花公路は海岸線を走るようになります。道は徐々に海岸線を上って行きます。
[いよいよ断崖か、どんなもんだろう]崇徳から和仁(ホーレン)までの海岸線の約20キロ間を「清水断崖(チンシュェイドアンヤー)」といいます。清水はこのあたりの地名で、近くに清水山という山もあります。実は私に文山温泉の存在を教えてくれたご夫婦から「清水断崖は景色がよくてスリルもあるよ」と聞いていました。その太平洋に面した清水断崖が行きたいところでした。
道は崖を上りきりやがて平坦に、いつしか海面が遥か下に見るようになりました。
この写真は崇徳側から見た清水断崖です。海から隆起した地形がよくわかります。断崖は高い所で900m、左手上方が清水山(2,408m)です。断崖中央に黒くポツンと見えているのは素掘りのトンネルで、この先薄い線となって断崖を行く道がずっと続いているのですが、写真でわかりますか? 天気がよければ太平洋を望む景色はもっと素晴らしいものになったはずです。残念です。
切り立った断崖を進む蘇花公路は舗装路と地道を繰り返しながら先へと伸びています。海に面したちょっとしたスペースに清水断崖の説明案内板があります。その案内板と一緒に道路工事中に殉職した日本人作業員の名前が掲示されていました。
もともとこの道は中国の清の時代に通されたものです。それを日本統治期に14年かけて拡張、整備を行ったのです。その長さは100キロを超え「臨海公路」と呼ばれていました。
工事はかなり過酷な作業だったようです。固い岩盤を崩すために作業員たちはザイルに宙吊りになり、崖に発破を仕掛けていったのです。おそらく作業はツルハシとスコップ、トンネル掘りはタガネにカナヅチと全て人力で作業を行ったと思われます。崖の崩落や落石、また滑落と多くの事故や危険と隣り合わせにいたのが想像できます。
慰霊碑があって、その碑に殉職者の方々の名前があったと記憶しているのですが、案内板に併記されていたのかも知れません。ハッキリと思い出せないままでいます。名前は年別に掲示されており、かなりの人数だったと記憶しています。
後述しますが、今では新道ができてこの清水断崖を行く道は廃道となり、かわりに所々に見晴台があります。清水断崖の説明文とともに殉職者名が記された慰霊碑か案内板も残されているといいのですが、どうでしょうか。