前に台湾の皆さんは、明るく親切に接してくれると記しましたが、これは私のイメージ通りでした。そのイメージというのはテレビの映像や雑誌からの受けるもの以上に同僚だった台湾人Cさんによるところが大きいように思います。
彼女は日本のデザイン学校を卒業し、その後職場で一緒に仕事をするようになったのですが、とにかく周りの雰囲気を明るくするキャラクターの持ち主でした。そんなCさんは、台湾にいた頃から去年亡くった歌手の西城秀樹さんのファンでした。日本に来てからも「秀樹ーッ!!」と、そのファンぶりは変わっていませんでした。[台湾の人ってやっぱ彼女みたいに明るいね]そんな思いで台湾を回っていたのです。
人々の明るさと対照的に台湾は複雑な時代を経過してきました。ここまで台湾原住民に対して大雑把にその他の漢人というくくりで話してきましたが、それは漢人つまり中国人が色々とヤヤコシイからです。
台湾を語る時に必ず本省人、外省人という言葉が出てきます。大戦前から台湾に移り住んでいた人たちを本省人、大戦後の内戦に敗れ蒋介石率いる国民党と一緒に台湾へ渡ってきた人たちを外省人と分けて呼びます。ここまでは分かりやすいのですが、同じ本省人でも福建、広東など出身地別、話す言葉の違い、また本土に本籍の有無など、出身や自身のルーツに関して周りも本人も特別な意識を持っています。外省人も本土の広範囲な地域の出身ですから多かれ少なかれ同じ意識があるはずです。台湾では同じ中国人でも異なる背景や価値観を持つ人たちが暮らしているのです。
台湾ではひと昔前まで「犬がいなくなったら、豚が来た」と言われていました。これは「何かと口やかましい奴らがいなくなったと思ったら今度は何でもむさぼり食う連中がやって来た」という、本省人が日本人や外省人を揶揄した言葉です。つまり「日本の統治が終わってホットしたら今度は大陸から逃げてきた連中が利権をあさり始めた」ということです。「まだ日本の統治の頃の方がましだ」そんな気持ちも少し込められているのかも知れません。
台湾では長いこと国民党政府が続いていました。人口比率15%ほどの外省人が台湾の政治や経済の中心にいたのです。これは後に国民党に対して民進党という構図を生み出します。最近ではお目にかかりませんが、以前テレビのニュースで台湾の国会議員が議場で取っ組み合いのケンカをする姿を見ていました。あれほど強く意識していたということでしょう。
普段はあまり本省人や外省人を意識しないようですが、こと選挙となると変わるようです。先祖の代から同郷の人たちが住む特定の地域では候補者たちは政策そっち抜けでの父親や祖父の出身地を連呼するそうです。自分のルーツで仲間意識に訴えるということでしょうか。
私は北米やイギリスで、中国人つまり華僑と呼ばれる人たちが一つの地域でまとまるチャイナ・タウンをよく見てきました。彼ら華僑の多くは台湾出身ですが、大陸や香港からの人たちも同胞、同郷という意識が一つにまとめているようです。
私はニューヨークではCさんの姉さん夫婦宅で居候させてもらっていました。ご夫婦は台湾から移住して洗濯屋を営んでいたのです。私のほかにもすでに二人の先輩居候(?)がいて、彼らと同じ部屋で寝起きをともにしていました。二人は中華レストランのコックですが、ご主人は同郷の二人に部屋を提供していたのです。チャイナ・タウンの中でも同郷人たちがさらに小さなコミュニティを作っているのです。異国に新天地を求めてやって来た者どうし助け合う、同郷であればなおさらということです。