出雲から30キロほど、大田(おおだ)で9号線と別れて国道375号線を内陸へ、三次(みよし)経由で広島を目指します。ひと山越えると、邑智(おおち)町粕淵(かすぶち)で江(ごう)の川と JR 三江(さんごう)線に出会います。江の川はここ粕淵で大きく曲がり、日本海側の江津(ごうつ)へと注いで行きます。三江線はその江津と三次を結んでいます。邑智町は現在の美郷町です。
江の川の流れは水量に比して緩く、川沿いを行く375号線も平坦に感じるほどです。ただし国道とはいうものの一車線の区間が多く、大型車とのスレ違いには注意が必要です。川と鉄路を右に左にと三次の手前5キロ、この日の走行距離は120キロほどになりました。
邑智町、続いて大和(だいわ)町と林業が盛んなようです。先端に花粉らしき黄色がかった塊が見えます。杉の雄花は夏から秋にかけて成熟し、冬の間に乾燥して春先に一気に花粉となって拡散します。次は降り注ぐ雨が造った砂山のオブジェ(?)。道中のスナップです。
三次から広島まで80キロほど、行程半ばで江の川と別れ、さらに進むとわずか標高267mの分水嶺、上根峠です。片や北へ流れ江の川から日本海へ、片や南へ広島市内を流れる太田川から瀬戸内海へと注ぎます。
午後2時近くに広島に到着。「平和記念公園」内の「原爆資料館(広島平和記念資料館)」に行きます。
私の通った小学校の図書室には原爆の写真集が置かれていました。貸出禁止本のコーナーがあり「どんな本があるんだろう?」そんな中、偶然手にしたのです。タイトルは忘れましたがガッチリとした装丁の大判サイズの本です。
一面の焼け野原、道端には男女の区別もつかない黒焦げの死体、さらにはそれらが積み上げられた山、上半身に大きく火傷を負った同世代の少年というか子供、ケロイド痕が残る顔のアップも……。次から次へとあまりのショックで心臓がいつまでもドキドキしていたのを覚えています。
広島駅と赤ヘル軍団の本拠地「広島市民球場」です。現在は広島スタジアムとして駅の近くに移転しています。
広島市民球場と道をへだてて隣接しているのが県産業奨励館「原爆ドーム」です。原爆ドームは1996年に被爆建造物として世界遺産に登録されています。近くにあるのが五重塔のようなフォルムの「動員学徒慰霊塔」です。
原爆投下の前年、学徒勤労令が施行され中学生以上の勤労が義務づけられます。8月6日の原爆投下の当日の朝も市内で8,000人以上の学生が米軍の空襲による出火延焼を軽減するための家屋の疎開作業を行っていました。家屋の疎開とは火事の広がりを防ぐために計画的に家屋を取り壊す、いわば間引き作業です。その作業中に被爆し、6,300人もの犠牲者が出ました。
次は対岸から見た原爆ドームです。続いて「原爆死没者慰霊碑」です。雨よけ用のアーチでしょうか、その内に慰霊碑があるのですが、手前の献花台ともども人影に隠れて見えません。前に立つとアーチの先に原爆ドームが見えるようになっています。広い園内には他にも慰霊碑や平和を祈念するモニュメントが点在しています。最後の写真は原爆資料館を背にして撮りました。右手に資料館の別棟、東館があります。北に位置する対岸の原爆ドームも平和記念公園になっています。
資料館で驚いたのは米軍が撒いたビラです。「我々は新型爆弾を開発した。武力抵抗を中止せよ。都市から避難するように」などの内容です。ビラのタイトルは「日本国民に告ぐ!! 即刻都市より退避せよ」です。戦況を悪化させた軍閥の責任や天皇陛下に戦争の終結を請願するようにも記されています。
戦時中、無線を傍受することは禁止されていました。同様に撒かれたビラはその内容を見ることなく警察などに速やかに届けるよう義務づけられていました。違反者には罰金もしくは禁固が課せられたのです。原爆投下の半年前から全国各地に大量のビラが米軍機から撒かれるようになります。やがてビラの予告通りに空襲されるようになっていきます。原爆投下の前月の7月末にも呉や福山など広島の周辺都市にビラが撒かれた記録があります。
長崎を始め福岡、大阪、東京に撒かれたビラには広島への原爆投下の記述があります。私が広島の資料館で見たビラはそれだったかもしれません。一時、長崎で撒かれたビラは原爆投下の前か後かで注目されましたが、米軍の資料で原爆投下の当日9日夜から翌10日の朝にかけて撒かれたと判明しています。この後、私は長崎の原爆資料館も訪れています。
中国地方最大の街、広島は太田川の扇状地に開けました。太田川から枝分かれした6本の川の間にオフィス街や商業地区がバランスよく広がっています。平和公園から東へ行くと広島一の繁華街、歓楽街に出ます。資料館を後に「今夜は一杯飲んで、安宿にでも泊まるか」そんな気持ちでいました。
日も暮れ、手頃な居酒屋で夕食も兼ねて一杯。宿はサウナ付きのカプセルホテル(一泊3,200円)です。大事な自転車は入り口奥の人目につかない場所へ、ところが翌朝その自転車にゲロが……。ナンテコッタイ?!。
次回、「安芸の宮島」から山口県岩国の「錦帯橋」へ向かいます。