島原半島の北、国見町の多比良港からフェリーで有明海を渡り、熊本県の長州町へ。所要時間約45分(料金は自転車とも310円)、修学旅行の生徒たちと一緒でした。
熊本は農業が盛ん、トマトやスイカや夏みかんなど多くの農産物の生産量が日本一です。それを証明するかのように平野部が開け、畑やビニールハウスが目につきます。熊本市内まで20キロ弱、みかんで知られる河内町まで来ましたが、だいぶ日が暮れてきました。ちょうど稲刈り作業を終えた若いご夫婦にお願いして畑の空きスペースにテントを張らせてもらうことに。熊本は早期米で知られていますが、すでに10月末、この年最後の稲刈り作業のようでした。
写真は熊本城です。17世紀の初めに加藤清正により築城され、その後は毛利家が藩主となります。「西南の役」の際、失火により天守や御殿を焼失しましたが、戦後に鉄筋コンクリート造りで復元されました。2016年4月の熊本地震でお城の多くがダメージを受け、現在修復中です。
水前寺の自転車店でバックミラーを入手、ついでにこの先向かう阿蘇山の情報を得ます。この年、阿蘇山の火山活動は活発化しており、降灰による農作物の被害など、ある程度ラジオのニュースで聞いていました。
店主の話では「今月になってさらに中岳の噴火が激しくなり、頭ほどの大きさの噴石も上がって、今は入山規制がかかってる」とのこと。どうやら火口を覗けそうにありませんが、とりあえず行けるところまで行きます。
市内から豊肥本線と並走する国道57号線を走って30数キロ、標高467mの赤水駅前でテント泊。さすがに阿蘇山の外輪山は冷え込みました。現在、赤水駅は熊本地震で被災し、解体休止中です。
赤水から有料道路「阿蘇登山道路」を13キロ、「草千里」まで来るとゴゴーッの轟音とともに阿蘇五岳の一つ、中岳の噴煙が見えます。
写真は草千里から見た中岳の噴煙です。
「昨日は灰色の噴煙だったが今日は白色でまだいい、太陽をさえぎることもある。ここ3ヶ月ほど以前と違う噴火口から続いている。こんな状態は子供の頃以来だ」地元のオジさんの話です。なにしろ歩くたびに降灰が煙のように舞い上がるのですから、実感がこもってます。
2枚目の写真は、その降灰に野うさぎ? キツネ? 狸? 何やら小動物と野鳥の足跡です。周辺の木々も灰をかぶって真っ白です。
草千里から降灰で白っぽい有料道路をさらに先へ、中岳へ近づきます。そして再接近した分岐点での写真です。この先は通行止めになっていました。
最後は阿蘇カルデラ内の写真です。阿蘇のカルデラは数十万年にも及ぶ火山活動により形成されました。9万年前の大噴火により現在の形になったといわれています。カルデラの大きさは南北25キロ、東西18キロ、この沖積平野の内で約5万人が暮らしています。田畑はもちろん大学のキャンパス、ゴルフ場もありました。
分岐点から阿蘇登山道路を南へ、外輪山の外へと走ります。2000年に阿蘇登山道路は無料化され「阿蘇パノラマライン」と呼ばれています。
写真は八代へ向かう途中、砥用町(ともちまち)で見かけた緑川にかかる石造りのアーチ橋「霊台橋(れいだいきょう)」です。1846年に完成、長さ100mほどです。
九州には日本の石造りの橋のほとんどが、そしてその約半数が熊本に集中しています。砥用町にも大小合わせて30以上の石造りの橋があります。理由は江戸時代から種山村(現、八代市東陽町)に種山石工(たねやまいしく)と呼ばれる優秀な石工集団がいたからです。皇居の旧二重橋、日本橋、浅草橋なども種山石工の手によるものです。砥用町は隣接の中央町と合併し、現在の下益城郡美里町砥用です。
次回、熊本から鹿児島へ。桜島から錦江湾沿いを大隅半島、薩摩半島へと走ります。