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本州(最終)-[2]: 南紀白浜から潮岬へ

大阪では再び単身赴任中の友人宅マンションに厄介になります。前回は奥さんと娘さんが東京から来ていたので遠慮してすぐに出発しましたが、今回はちょっと長くなりそうです。

東京へ戻る最後の準備をします。破れたバッグをつくろい、浴室の洗い場を借りてテントと寝袋を洗濯、防寒対策用の衣類を調達、年賀状も書きます。
全ての準備を終えると「キタ(梅田)だ。ミナミ(難波)だ。新世界だ」と友人宅のある守口から自転車や電車で大阪の繁華街へと出掛けていました。乗り換えのある鶴橋駅周辺もウロチョロしてました。

♪「きっと来てねと 泣いていた…… さよなら さよなら また来る日まで…… 」
お馴染みの「宗右衛門町ブルース」、大阪を代表する歓楽街、夜の宗右衛門町も忘れません。

前回、今回と大阪滞在中に驚いたのが自転車の右側通行でした。多くの自転車が自動車に対向する形で道路の右側を走っているのです。確かに道路交通法が変わるまで右側の路側帯に限り自転車の走行は違反ではありませんでしたが、他の地域では目にしない光景でした。

「前から車や人が来るのがわかるからイイ」言い訳に聞こえます。マナーというか安全に対する考え方です。何れにしても危険度は増しているはずです。今も昔も自転車がらみの交通事故が一番多いのが大阪です。今では道路交通法が改正され、自転車の右側通行は路側帯であっても違反です。悪質な場合は罰金の対象にもなります。

友人宅に5泊した後、12月18日(月)いよいよ東京へと出発します。これまでのコース取りで、47都道府県のうち残るは和歌山県、静岡県、神奈川県の3県。まずは大阪湾沿いを南下、お隣の和歌山県へ向かいます。

岸和田のパチンコ屋でトイレを借りて出てくると、私の自転車を見ていた男性から声をかけられました。「日本一周して帰る途中です」と伝えると、その男性もバイクで北海道やヨーロッパをツーリングしたとのこと。喫茶店でコーヒーを飲みながら「やれアルプスだ。スペインだ」と互いの経験談で話が弾みました。やや年上という男性は天理教の教人(キリスト教でいうところの牧師や神父)とやらで「道中、寒さしのぎに」とサントリーのリザーブをプレゼントしてくれました。思し召し(?)に感謝です。

出発初日の野営地探しには苦労しました。日もとっぷりと暮れる中、小さな峠を越えて和歌山に入ったもののなかなか適当な場所が見つからないのです。結局、紀ノ川を渡るとそのまま和歌山港のフェリー・ターミナルへ、時間はすでに夜の10時、待合室で一晩過ごします。

和歌山から紀勢本線と並走するように熊野街道と呼ばれる国道42号線を三重まで走ります。海岸線を行くコースになります。
「行き交う車は減り、快適な走り」といいたいところですが、吹く風は冷たく時おり小雪が舞うほどです。それでも追い風にのって有田から御坊へ。この日は御坊のお隣の無人駅、道成寺駅で駅泊です。

道成寺といえば「安珍と清姫」の伝説が知られています。「町娘は見初めた坊さんにだまされ、怒り狂い大蛇に化身、そして鐘の内に隠れた坊さんを焼き殺す」そんな話です。歌舞伎では踊りの「京鹿子娘道成寺」の演目として知られています。

朝、その道成寺へ。ところが残念なことに4年ががりの大改修とやらで本堂へ入れませんでした。
この日の目的地、白浜へ到着。南紀白浜といえば温泉、1300年の歴史ある温泉です。早速、共同浴場「牟婁の湯(入湯料100円)」へ。久々の温泉の後は誰もいないビーチ、白良浜(しららはま)にテントを張ります。昨日の風も収まり、波の音が心地よく感じられます。白浜のビーチの白さ加減はちょっと違います。

白浜には海を目の前にした天然の露天風呂「崎の湯」があります。古くは時の天皇や紀州藩主の頃の徳川吉宗(テレビでお馴染み暴れん坊将軍、8代将軍吉宗)も入ったとか。場所は白良浜の先の防波堤を少し行ったあたりです。出発前にひとっ風呂、誰もいない海辺の湯を独り占めです。朝イチということもあり頭がスカッとしました。こちらの露天風呂は無料で入れます。

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写真は和歌山駅です。続いて白浜温泉の外れにある「三段壁」、高さ50~60mの柱状節理の岩壁です。投身自殺があるのか、キリスト教会の「いのちの電話」の立て札があります。同じ柱状節理の岩壁、東尋坊でも同様の立て札があったのを思い出しました。

最後は串本の手前、田並の駅舎の壁に掲げられていた周辺の案内図です。驚いたことに50ぼどの小さな島の一つ一つに名前が記されています。紀勢本線は特急の停車駅以外は無人駅です。この頃は天気がよくないこともあり、無人駅に連日泊まっていました。

串本から「潮岬道路」を走り、本州最南端「潮岬」へ向かいます。

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写真は潮岬道路から撮った串本港です。手前が紀伊水道側、向こうが熊野灘側になります。ここらあたりから三重県側へとリアス式海岸が続きます。
続いて1873年(明治6年)に建てられた「潮岬灯台」です。そして本州最南端の潮岬。太平洋を目の前にして地球が丸いのを実感(?)しました。

次回、那智の滝から伊勢神宮へと走ります。

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