アルジェリア入国4日目、三月になりました(1983年)。
「春だ~っ」と叫びたいのですが、実際はまだまだのようです。それでも陽が昇り朝8時を回ると暖かく感じられ、2~3日前からテントを出て、広げたグランドシートの上で朝飯がとれるようになりました。
昼間はウインドブレーカーなしでも走れますが、この地は寒暖差が大きく、夜の冷え込みには厳しいものがあり、まだ就寝時にはガッチリ着こんで寝袋にくるまっている状態です。
北上を続けるなか、はっきりとわかるのがテントを張る地面の状態が日に日に変化していくことです。走り出した初日は砂地、2日目は灰色がかった硬いザラザラした土、3日目は硬いながらも茶色を帯びた土になってきました。そして、この日走った国道沿いには、やっと緑の草木が見られるようになりました。
カメラが壊れる
前日、原因不明ですがカメラが壊れてしまいました。当初、カメラを2台もって出発しましたが、やはり荷物になるのでアメリカで1台を送り返していました。旅の記念に写真は欠かせませんので、手紙を書いて日本からカメラを送ってもらうつもりでいます。(チュニスで日本から届いたカメラを受け取るまで、この先アルジェリアとチュニジアの写真はW君のカメラで撮ったものです)
写真の代わりに、時間を見つけて周りの町並みや建物など、風景をスケッチすることにしました。
気前がいいアルジェリア人
この日は、カフェで昼飯用のホブスを分けてもらうつもりが、ちょうど居合わせたトラックの運転手達に声をかけられ、羊肉料理、ハリアと呼ばれるスープ、ホブス、食後のソーダ水と昼食一式をご馳走になりました。その上、カフェの主人にはコーヒーの他にみやげ代わりのホブスとオリーブまでもらうことに。
「それにしても連中よく食べ物くれたり、お茶をご馳走してくれますよね」
「うん。きのうもそうだし、きょうもだろ」
前日にも市場で卵とホブスをもらい、カフェでは店主にコーヒー(1Dr)とオレンジジュース(1.5Dr)をご馳走になっていました。
「Hさん、ほら北アメリカのアラブの人は『もともと遊牧の民だから旅人には優しいし親切だ』って言ってましたよね?」
「うん。でもそれだけじゃなくて、アルジェリアの人はノンビリしてるというか何か余裕を感じない?」
「あれですかね。社会主義国で、みんな公務員みたいなもんだからですかね?」
「確かに、給料っていうの? 収入は安定してるかもな。モロッコと違ってアルジェリアは天然ガスや石油が採れるからベースがしっかりしてるのは事実だよ」
「そうですよ。だから、みんな余裕なんですよ」
「あとは、独立後早くから日本の企業が進出してるから、けっこう親日派の人が多いんじゃないのかな」