バスは定刻の4時に首都チュニスに到着。まずは例によって安宿探しから。
地元の人に教えてもらったのは大通りから少し入った繁華街にあるホテル、二人1泊一部屋で約2,000円。部屋は3階で通りに面しています。もちろんトイレもシャワーも使用できます。
日本からの荷物を大使館で引き取ることやリビア行きの準備などを考え、とりあえず1週間の宿泊をお願いしました。
W君は明朝9時に公安局へ出向く必要があります。アドレスをフロントで見せて場所を確認すると、歩いて行ける距離にあることがわかりました。
ぐっすりと寝た私たちは、朝から行動に。昼にホテル近くのカフェで待ち合わせることにして、W君は公安局へ出頭、私はインフォメーション・センターへ。
東西に伸びる大通りは、チュニスのシャンゼリゼ通りといわれる〈ブルギバ通り〉で、洒落たカフェも並んでいます。ブルギバは独立後の初代大統領の名前です。
その通りの西端にアラビア語でバブ・バハル(海の門)という、7世紀に建てられた通称〈フランス門〉があります。フランス門はメディナの入口、名前からして建てられた当時は海に面していたのかもしれません。その門の先に旧市街メディナが広がっています。私たちが宿泊しているホテルは、このフランス門からほどなくのところにあります。チュニスの旧市街メディナは1979年に世界遺産に指定されています。
インフォメーションでもらった観光資料を片手にチュニスの街をぶらぶら。昼前ですが待ち合わせのカフェに行くと、すでにW君が、
「Hさん、行ったらHさんも連れてくるように言われました」
「えっ、俺も? で、何か聞かれた?」
「いや、まだ何も。行ったら係官にHさんも連れてくるように言われただけです」
「あっ、そう。俺もまじえて一緒に聞こうということかな、いいよ。じゃぁ行こう」
「多分そういうことだと思います。案内します。ここから、そんなにかかりませんから」
公安局に着いたのは12時ちょうど。係官に通された部屋で待っていると、鼻の下に髭を蓄えた50歳前後の担当官、ちょっと小太りのムッシュ・サレス氏が英語の通訳を伴ってやってきました。
まずは友好的に握手をしてから、差し出したパスポートを見ながら私たち二人の人定質問へ。
次に日本を発ってからのそれぞれの旅のルート。そして、二人がどこで出会い、どうやってチュニジアまで来たのか尋ねられました。サレス氏は、通訳を介して私たちの話しをメモしていきます。
結局、W君がパスポートの1枚を抜き取ったことには触れずじまいです。最後にパスポートを提出し、1時過ぎに再び出向くように言われ、聞き取りは30分足らずで終了しました。
私たちが話した旅のルートと入国スタンプの日付から、その整合性を突き合わせるのでしょう。カフェで時間をつぶして1時過ぎに再度公安局を訪ねました。
不審な点は見当たらなかったと思え、通訳とともに現れたサレス氏はにこやかに、英語で Everything is O.K. No problem. It’s finished.と言いながら、パスポートを返してくれました。
私たちも握手をしながら「シュックラン、ムッシュ・サレス」。
これでやっと無罪放免。最後にサレス氏が通訳に私たちに何か伝えるよう言っています。
「今後、チュニジアでトラブルがあったら、遠慮なく私のところに来るように」。[いやいやサレスさん。そう言われても、もうトラブルはゴメンです!]