きょうはチュニス湖を挟んでチュニスの北東、地中海に面したカルタゴの遺跡群を見に行く予定です。もともと、チュニスはカルタゴの衛星都市だったといいます。
ホテルの外に出ると想像以上に暖かく、急に短パンで走りたくなった私は、W君に待ってもらうと部屋に戻りニッカーボッカーから短パンにはきかえました。
上は長袖にウィンドブレーカー、そのウィンドブレーカーも途中で脱いでしまい「やっと春がきた~!!」と、陽ざしの暖かさを感じていました。
道中、いつまで短パンで走っていたのか思い出していました。前年の9月半ば過ぎ、ボストンに向かう途中のアパラチア山脈は思いのほか寒く、ニッカーボッカーをはいて走っていた記憶があります。
短パンでの走行はおそらくカナダ人のサンディーと日本人学生のK君と一緒にナイアガラ周辺を走って以来の半年ぶりになります。
五つのバッグを外し、軽くなった自転車の走りは軽快そのもの、チュニスから1時間ちょっとでカルタゴの街へ。
カルタゴの歴史と遺跡
歴史の授業に出てくるカルタゴは、紀元前8世紀ごろにフェニキア人によって建設された交易都市国家。このフェニキア人、アルファベットの原型を作ったといわれています。
カルタゴは、地中海をめぐる覇権争いで古代ギリシャやローマと戦い、なかでもシチリア島での攻防はよく知られています。百年にわたるポエニ戦争で、カルタゴは一時ローマに迫りますが、最後は第三次ポエニ戦争でローマ軍に破れます。港は焼かれ、街はすべて破壊されました。
その後、ローマは新たに街を築きます。ですから、カルタゴの遺跡といっても残っているのはごくわずか、ほとんどがローマによる建造物の遺跡です。カルタゴの遺跡はチュニスの旧市街メディナと同じく1979年に世界遺産に指定されています。
カルタゴ周辺は高級住宅地、そんな所に遺跡が点在しています。
まずは一番外れに位置する円形闘技場へ。原形はあまり残っていませんが、よくスペクタクル映画に出てくる剣闘士の戦いや猛獣と奴隷の戦いが思い浮かびます。
次にローマン浴場、そして円形劇場と、ローマ人がよく造る施設跡を見て回り、最後に住居跡のある〈ビュルサの丘〉に上ってみました。丘の上からカルタゴの街と地中海が望めます。
歩いて回れば、そこそこかかりそうなカルタゴの遺跡ですが、自転車で回るのにはちょうどいいようです。チュニスに戻る前に暖かさに誘われて海辺へ。
「Hさ~ん。波消しブロックまでジャンプしますから、その瞬間を撮ってくれますかぁ~?」
「おーっ、わかったーっ!」
「行きますよーっ!」
「いいぞーっ!!」
「いち、にーの、さん!!」
「おーっ、わかったーっ!」
「行きますよーっ!」
「いいぞーっ!!」
「いち、にーの、さん!!」
カシャッ、W君も春の陽気に浮かれているようでした。
