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ぐるっとヨーロッパ: Bulgaria(5) その後のロマ

前回に引き続きロマについて書きます。

18世紀のオーストリアでは差別をなくすために職業訓練、ロマ間の結婚禁止、徴兵制の適用などの定住化政策をとりますが、彼らの反対もあり、結局失敗に終わってしまいます。

一方、ルーマニアでは数百年に及ぶ奴隷としての扱いを続けるなど、ヨーロッパ各国でロマへの対応もさまざまでした。

第二次世界大戦中のナチスドイツのユダヤ人に対する迫害は「ホロコースト」などでよく知られていますが、同時にロマに対する迫害もありました。

ナチスドイツはロマを劣等民族として「ポライモス(ロマ語で虐殺、殺りくの意)」と呼ばれる大量虐殺を行います。枢軸国側についたブルガリアでさえ収容所送りに反対する動きがありました。

それでも流れが変わることはなく、収容所はもちろんのこと東欧各国の占有地でも彼らは殺害され、その数50万人(実際にはさらに多いという学者もいます)といわれています。

日本ではこのロマ絶滅政策「ポライモス」のことはあまり知られていないように思います。ユダヤ人と違い、社会的弱者のロマゆえ記憶にも留まらない、記録に留めないということなのでしょうか。弱者の声はなかなか届きません、だから弱者なのです。

大戦後、ソ連や東欧諸国では国策もありロマの移動禁止令など同化政策を打ち出し近代化をめざしました。ロマに家を与え、仕事につかせ、就学機会を与えたのです。

私がブルガリアで見た働くロマの姿にはそんな時代背景があったのです。その後もブルガリア国内で農作業のほか、街の清掃業務につく彼らの姿を何度か目撃しました(工場で単純作業に就くロマもいるとも聞きました)。いつも彼らはひとかたまりで、現地の人と一緒にいる姿を見たことはありません。

「ロマの連中は近寄りがたいよ」。時おり耳にした言葉です。長い時の流れのなかでロマとの関わりが言わせる本音かもしれません。

現在、ヨーロッパには1,000万人以上のロマがいるとされています。申告しないロマもいるようで実数は定かではありません。200万人近いルーマニアを始め、75万人のブルガリア、70万人のスペインと続きます。東欧圏では人口の7-10%をロマが占めています。

近年ロマの定住化も増え、経済的に裕福になったロマもいますが、ごく一部です。ここへ来て東欧の社会主義の行き詰まりや崩壊とともに再びロマにとって苦難の時代がやってきたようです。

欧州委員会は、ルーマニアやハンガリーに対し、住居を始めとする劣悪な生活環境の改善やロマの子弟たちの就学機会を求めています。しかし、財政難や相変わらずの偏見によりなかなか進まないのが現状です。

「偏見による差別が貧困を生み、貧困が反社会的な行動を起こさせる」と思います。生まれてこのかたロマの子どもたちの目には、物乞いや盗みや売春などが日常のこととして映っているのです。

子どもにとって大切なことは平等な条件のもとで教育を受けることではないでしょうか。一部地域ではロマの子弟の就学率がいまだに数%といわれています。残念ながら、それが現実なのです。

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