首都ベルンを感じさせてくれるのは、公共の案内板がすべて公共語で表示されていることと連邦議事堂があることぐらいです。中世のたたずまいを残しつつ、何ら気取りのないベルンの街が気に入りました。[帰りにもう一度寄ってみるかな]
ベルンから100キロほど走り、レマン湖畔の街 Lausanne(ローザンヌ)へ到着。スイスもここまで西にくると、フランス語圏になります。お店の看板もフランス語が目立つようになり、何となく今までと違い、しゃれた感じがしてきました。
ローザンヌといえば、IOC(国際オリンピック委員会)のお膝元。委員会はもともとフランスのパリにありましたが、第一次世界大戦の影響を懸念したクーベルタン男爵が、ここに本部を移したのです。
テントの設営場所を探しましたが、湖畔は例によって私有地が多く、やむなくキャンプ場へ。レマン湖をはさんで対岸はフランスのリゾート地 Evian(エビアン)の街、フェリーも行き来しています。
エビアンといえば、やはり水です。80年代後半になるとエビアン近郊で採れるミネラルウォーターが日本でも売られ、バランスのとれた硬水として知られるようになりました。
本来なら、エビアンの街の背後にフレンチ・アルプスが望めるはずですが、この日はあいにく雲が低く垂れ、その姿は見えずじまいでした。
この日の行程は湖畔沿いを60キロ、レマン湖の南端の街 Geneve(ジュネーブ)へ向かいます。途中、昼寝する余裕もありました。
湖が多いスイスでは当然のように街が湖畔に開けており、ジュネーブもその代表的な街の一つです。チューリッヒがビジネスの街といわれるのに対し、ジュネーブは文化の街ともいわれます。
第二次世界大戦以前、ジュネーブには国際連盟の本部が置かれていましたが、大戦後は国際連合(UN)に取って代わられ、戦勝国が本部をニューヨークに移しました。現在、ジュネーブはUN欧州本部になっており、UN諸機関や、赤十字委員会ほか、多くの国際機関の本部が置かれています。人口の約3割ほどが外国人だそうです。
ローヌ氷河を水源とするローヌ川は、いったんレマン湖へ流れ込み、再び地中海へと注ぎます。湖の周辺にはフェリー乗り場やヨットマリーナ、レマン湖のシンボルの大きな噴水もあります。
この日は日曜日、周辺の公園は家族連れや恋人同士などで溢れていました。
公園にテントを張るのは無理なようです。ローザンヌに続いてキャンプ場を利用することになりました。スイスの7月初めの日没は9時半ごろです。その日長をもて余したのか楽しんだのか、いつのまにか1リットルほどビールを飲んでいました。