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ぐるっとヨーロッパ: Norway(2) さまざまな国境越え[1]

島国日本では国境が身近に感じられません。外国というと「海外」という字が表すとおり海の向こうの国となります。ひとたび海外に出ると大陸ごとに複数の国が存在しており、当たり前のように陸続きの国境が存在します。この自転車旅で私は幾度となく陸路で国境越えをしました。

北米ではアメリカとカナダの国境になります。五大湖以西の国境は太平洋側のバンクーバーの南まで両国の国境は一直線に引かれています。当時アメリカの観光ビザは3ヵ月、ロスアンゼルスから出発した私は、カナディアン・ロッキー、イエローストーンそして再びカナダのナイアガラの滝と国境を出入りすることで、ビザの期限切れを回避していました。

アフリカ大陸にも直線で引かれた多くの国境があります。直線の国境を見るたびに安直さと同時に当時の大国の思惑を感じます。

アフリカ大陸の自転車旅は北アフリカの一部だけでした。印象深いのが軟禁されたチュニジア国境ともう一つ、モロッコとアルジェリアの国境です。両国の国境は南へ行くと直線ですが、私の入国地点はそれより北の砂漠にかかるあたりで国境も複雑な形をしていました。当時、両国は領土問題を抱えていたのです。

自動小銃を肩から下げるモロッコの警備兵にゲートを開けてもらいアルジェリア側のゲートを目指しました。アルジェリアへと続く幅2mほどの道は乾いた茶色い砂で覆われた舗装路です。砂漠からの風が吹くたびに見え隠れしていました。

たどり着いたアルジェリア側のゲートにも自動小銃を肩から下げた警備兵が待っていました。その間約2キロが両国の緩衝地帯、いかにもといった感じで緊張する国境でした。

一方、狭いヨーロッパ大陸には多くの国が存在しています。国境の多くは川や山の尾根、峠などで形成されており、わかりやすいものでした。川一本、山一つ越えれば言葉やお金はもちろん国の体制まで変わる経験もしました。

今でこそ道路はもちろん橋やトンネルができたことにより往来が当たり前のようになっていますが、昔は河川や山脈で遮られており自ずと生活圏が固定されていました。習慣や文化が違うのが容易に想像できます。争い事の多いヨーロッパゆえ、戦争によって土地を取ったり取られたり、国境もそのたびに変化していきました。

ヨーロッパの国境には色々とエピソードがあります。史実に基づく(?)ミュージカル映画「サウンド・オブ・ミュージック」では、ナチスに追われたオーストリア将校の一家がスイスへと脱出する雪のアルプス越えのシーン、映画のクライマックスです。

また冷戦時代には東ドイツ国民が当時同じ共産圏のハンガリーへ旅行と称して一旦出国した後、三方を山に囲まれた山間の国境からオーストリアへ逃亡したという実話もあります。当初、ハンガリー当局は東ドイツの意を汲んで逃亡を取り締まったものの、あまりの多さにやがて見て見ぬふりを決め込みました。その後の「ベルリンの壁の崩壊」へと繋がる出来事です。

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