Caen(カーン)はノルマンディー地方の中心、カルヴァドス県の県庁所在地です。セーヌ湾へ注ぐ Orne(オルヌ)川を10数キロ遡った内陸に位置しています。実際にノルマンディー上陸作戦が敢行されたのもカーン近郊の浜辺と隣接するマンシュ県のコタンタン半島の浜辺です。
上陸作戦後も連合国軍とドイツ軍によってこのカーンで1ヶ月にも及ぶ激戦が繰り広げられました。連合国側はカーンはパリ進攻のための重要拠点と位置づけたのです。結果街はほぼ壊滅し、ル・アーブル同様に街の復興に長い歳月を有しました。
カーンから北へ。そして再び海岸線を西へと走ります。この辺りは実際に連合国側の上陸作戦が行われた場所ですが、道路際に建物が並んでいるためか想像がつきません。
家並みが途切れると同時に道は海岸線から遠ざかるように少し内陸を走るようになります。右手に所々海へと続く道が現れ[ちょっと海まで出てみるか]そこには今までと違うひっそりとした海岸線が続いていました。
長く続く砂浜に打ち寄せる波、そして高い崖が続く海岸線。[こんな場所に上陸したのだろうか。上から狙われただろうに]実際、上陸作戦時には用意した梯子やロープで崖をよじ登ったとあります。
さらに西へ、上陸作戦で一番の激戦地 Omaha Beach(オマハビーチ)を目指します。Sainte-Honorine-des-Pertes(サントノリーヌ・デ・ペルテ)の町で、先ほど同様右に折れて再び海岸線に出てみました。ここから東へ5、6キロ続く浜辺がオマハビーチです。ノルマンディー上陸作戦で象徴的に語られるのがこのオマハビーチの激戦です。
1944年6月6日深夜、イギリス海峡の制空権をすでに握っていた連合国軍空挺部隊の落下傘降下を皮切りに作戦が開始されました。明け方には海からの上陸作戦も始まりましたが、ここオマハビーチではドイツ軍の激しい抗戦により前線を突破するのに半日以上かかりました。一説にはオマハビーチでの連合国側の死者3千人、負傷者4万人といわれています。
1940年5月、英仏軍はドイツ軍に追われダンケルクの港から40万といわれる兵士が命からがらイギリス本土へと撤退しました。後にドイツ軍によってパリは占領され、フランス軍は降伏しています。
ダンケルクの撤退から4年、連合国側の反撃ノルマンディー上陸作戦が始まり、その2ヶ月半後にパリは解放されます。最終的に200万人もの多くの兵士がイギリス海峡を渡ったといわれています。