フェスティバルは一晩中開催されるそうで、会場のいたるところに人が溢れていました。せっかく連れ出してもらったのですが、何のフェスティバルだったか覚えていません。この時も少々飲み過ぎてしまったのか、それとも飲めるのが嬉しくて詳しく聞いていなかったのかもしれません。
ルーディたちは仲間うちで集まる会場が決まっているようでした。そこで新たな出会いがありました。私とマリスから少し離れた場所で友人と飲んでいたルーディが戻ってくると、
「ノブ、ちょっといいかな。紹介したい友人がいるんだ。彼の奥さん日本人なんだ」
「えッ、奥さんが日本人なの?」
ルーディから奥さんが日本人の友人がいるなんて聞いていませんでしたから、少々驚きでした。彼もたまたま会場で出会ったのでしょう。
「こちらが友人のブルーノと奥さんのKさん」
「初めてまして、Hです。よろしく」
「ブルーノです。そして、妻のKです」
奥さんの影響でしょうか、ブルーノさんはカタコトの日本語で挨拶してくれました。ご夫婦ともに私と同世代のようです。
「Kです。マリスの弟さんとイエローストーンで会ったんですって?」
「ええ、そうなんです。自転車にトラブルがあって、弟さんの知り合いの自転車屋を訪ねたら、その隣がマリスさんの家だったんです。すっかりお世話になってます」
「そうですか。スイスの人って親切でしょ」
「ええ、とってもフレンドリーな気がします」
ブルーノは日本にも支社があるスイスの貿易会社に勤務、Kさんの実家は愛知県、夫妻にはまだお子さんはいないとのことでした。
アテネでW君と別れてまだ2ヵ月も経っていません。それでも日本語での会話がうれしかったとみえ、お酒も入った私はKさん相手に一人でペラペラしゃべっていたと思います。
旅行中は日本人に会う機会がなく、数ヵ月間日本語を話さないこともありました。W君とはポルトガル、北アフリカそしてギリシャまで常に会話していましたから、わずか2ヵ月たらずでも久しぶりに感じたのかもしれません。そんな私のおしゃべりをKさんは静かに聞いてくれていました。
ブルーノ夫妻はチューリッヒ在住です。「チューリッヒでは我が家に泊まるように」とアドレスをくれました。明日は日曜日で二人とも家にいるとのことなので、私は早速翌日寄らせてもらうことにしました。
ルーディとマリスも友人たちとのお喋りで盛り上がっていました。ブルーノ夫妻は先に引き上げましたが、私たち三人が帰路についたのは午前3時過ぎてからでした。